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MTによるサイト一部をブログ化、ポートフォリオ用の写真をプリント、展示の構成とプロフィールなどの文書作成がやっと片付き、やっと生活が落ち着いてきた。
使う脳みそが全然違うので、切り替えが大変だった。。。
先週は自分の写真展のパーティーに出席。
簡単なスピーチをしたのですが、声は震え足はガクガクするほど緊張してしまいました。
参加者はインテリア/デザイン/建築などの関係者が多く、
「写真の善し悪しが分からない」から
「気に入った」まで、様々な意見を頂戴しました。
知識がある方だと、時代と歴史とを照らし合わせて客観的に鑑賞し、
そうでない方は、直感的に好みか好みでないかで見ているようでした。
(私はどちらも大切だと思っている。)
特に印象的だったのは、「写真が分からない」という意見。「分からないなぁ??」って。
頭で理解しようとするが、理解できないという。
写真を「分かる・分からない」で見るというのはどういうことだろう。。。
「何か気になる」「何かひっかかる」ものがもしあったのなら、
それが作品への興味につながり、理解したいと思うかもしれない。
また、コンセプトに興味を持ち、それを表現した写真に面白さを見出すかもしれない。
いずれにせよ、コンセプト的にも視覚的にも総合的にまだまだ強度が足らないのは事実。
それが「分からない」につながるのか。。?
「分からない」けれども、何か感じるものがあったのなら。。?
絵でも立体でもない、「写真」という独特なメディア(文化背景も含めて)について
改めて考えさせられました。
全く無名の私を取り上げて下さった○さんの、
「最近さぼっていたのだから、これが制作のきっかけになれば。。。」
という言葉をしかと受け止め、
もう少ししつこく続けてみようと心に決めた夜でした。
インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人ヤコブ。財政難の孤児院を運営する彼のもとに、あるデンマークの実業家から巨額の寄付金の申し出が舞い込む。そして寄付にあたって求められたたった一つの条件は、直接会って話をするということ。
久しぶりにデンマークへ戻った彼は、実業家ヨルゲンとの交渉を成立させる。その時ヨルゲンは週末に行われる彼の娘の結婚式に出席するように、強引にヤコブを誘う。断り切れずに出席したヤコブは、そこで思いがけない人と再会する。困惑するヤコブ。そして明らかになる衝撃の事実。
やがてヤコブは全てを仕組んだヨルゲンの秘密と、まだ4歳の幼い子供たちの父親としての彼の本当の望みを知ることになる。。。
「しあわせな孤独」の監督、スサンネ・ビアの新作です。
ドグマ95の存在を知ると、彼女の撮影姿勢がよく理解できる。
今回は、ちょっとドラマチック過ぎるかなぁ。。と思うシーンもあったけど、
女性らしい繊細な視線で家族愛を描き、最後まで釘付けでした。
(上のYouTubeのTrailerだと、恋愛モノみたい。。。)
ドグマ95「純潔の誓い」
- 撮影はすべてロケーションによること。スタジオのセット撮影を禁じる。
- 映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
- カメラは必ず手持ちによること。
- 映画はカラーであること。照明効果は禁止。
- 光学合成やフィルターを禁止する。
- 表面的なアクションは許されない(殺人、武器などは起きてはならない)。
- 時間的、地理的な乖離は許されない(つまり今、ここで起こっていることしか描いてはいけない。回想シーンなどの禁止である)。
- ジャンル映画を禁止する。
- 最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
- 監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。
写真美術館へ行ってきた。気分が乗らなくても、ある程度定期的には行っとかないと、となぜか思ってしまう場所。
今回はタイトルの内容であった。
鈴木氏らしい切り取り方だなぁ。
見せ方が良かった。
火祭りの写真ブースでは、真っ黒な壁に、真っ赤な火が映える。
そこを通り過ぎると、あたり一面雪の世界へ。
真っ白な空間に面食らう。
桜の写真は、何か別の見せ方があったらもっと面白かったと思う。
写真展を観るということは、「写真」だけをじっと観るのではなくて、
空間そのものも含めて、写真を「体験・体感」すること。
どのように伝え、観てもらいたいのか。
そういう観点では、まとまっていた展示だったと思う。
最後に。。。
鑑賞料が高い!!
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 ドナルド・A.ノーマン(著)
ユーザー中心のデザインの7つの原則を提案。すべてのデザイナーに。